2007年5月に年金記録が5000万件消失しているという大事件が日本中を駆けめぐった。これは非常に重大な事件であり、これをいいとは口が裂けても言えない。しかし、あえて苦言を申し立てたい。
年金問題はこれから年金受給者となる団塊世代の感情を大きく揺さぶらした。「これまでせっかくまじめに年金を納めたのに、記録漏れが発生し、結果としてもらえないとは何事だ。けしからん。」ということである。これは否定をしない。しかし30代の人間から、あえて申し上げると「ニートや派遣問題はどこ行ってしまったの?」ということである。
年金問題はある意味で、後付で支払うこともできる(そうすればいいという意味ではない)リカバリー可能な問題である。しかしながら、「ニート・派遣問題」はすでに現実に起きていることであり、1日遅れればそれだけ手遅れになっていく「現実・将来の日本」を左右する問題である。100年先まで考え国家を経営していこうというのであれば、若者の問題をまず何とかするのが先決ではないだろうか。若者の収入が安定しない限り、今後の年金運営も安定することなどない。つまり年金運営とは若者運営に従属している問題であり、若者が幸せでなければこの先立ち枯れになることは火を見るより明らかである。
感情論からもいいたい。今の50、60代はどれだけ20、30代を搾取すれば気が済むのであろうか。80年代バブルを謳歌し、90年代に入ると、自分たちの行ってきた放漫な経営により日本経済のバブルは崩壊した。今の25〜35歳は就職時にもろに影響を受け、会社はその門戸を閉ざした。この時代に人事兼を握っていたのが、今の50代、60代である。会社という組織からあふれたものは、2つの方向に向かった。1つは経営者、1つはニートである。一見成功者と思われる経営者は(勿論きちんと商売されている人もいる)、経営者としての心を注ぎ込まれないまま、方法論的は部分で成功を収めた。そこをたたかれた。「これだからベンチャーは」と。それしか生きる道がなかったにもかかわらずである。ホリエモンがいい例である。逆に働く機会・気概を奪われた若者は自宅に引きこもりニートになった(少し強引にまとめすぎているが)。結果として、この世代を朝日新聞は「ロストジェネレーション」と称し、世間のお荷物的にな論調を強め、世間的にもそういう空気が強い。
そういう中で、ようやっと「ニート・派遣問題」に国が動きを見せてきて、20代、30代にも目が向き始めたと思った矢先に、「年金問題」である。この議論で大きな恩恵を被るのは、やはりターゲットは50代、60代、もしくはそれ以上である。感情的であることは百も承知で申し上げたい。「あなたたち団塊の世代は、我々の世代(ロストジェネレーション)をどれだけ踏みつければ気が済むのか?」
2007年7月7日土曜日
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