2007年7月9日月曜日

スキルとかキャリアとか

スキルとかキャリアとか言葉をよく聞くが、はたしてみんな同じ言葉の定義で使用しているだろうか?これは最近の大きな疑問です。「スキル」や「キャリア」をものすごく気軽に語る人がいるが、もっと重い言葉だし、長くつらいものだと思うのは自分だけであろうか?

例えば「○○はググったから大丈夫です」という話をよく聞くのであるが、(わからない人のためにgoogleという検索エンジンを使って検索するということです)こんな感じで得たものを「スキル」といってしまって良いのであろうか。

よくわからないので、言葉をとりあえず辞書で調べてみると(Yahoo辞書使用)。

・スキル
 手腕。技量。また、訓練によって得られる、特殊な技能や技術。
・キャリア
 職業・技能上の経験。経歴。「―を積む」「―不足」

辞書上の意味だと、訓練によって得られる手腕が「スキル」であり、「スキル」の積み重ねが「キャリア」というもののようです。やはり「スキル」を積むためには訓練が絶対条件であり、「ググり続けて」得られるのは「スキル」とは言わないようです。(ここで辞書もyahoo使って楽してないか?という人。その通りです。私は「スキル」という言葉で「スキル」を積むことはないので。う、苦しいかな)。当然、こういう「スキル」っぽいものを積み重ねても「キャリア」とは言わないわけで、「スキルアップ」も「キャリアプラン」もくそ食らえ状態になってしまうわけである。

では、おまえはどう思うんだ?と聞かれると、「論語」の一節をあげて説明します。

子曰、不憤不啓、不非不発。
挙一隅、不以三隅反、則不復也。
 (子日わく、憤せずんば啓せず、非せずんば発せず。
  一隅を挙げて、三隅を以て反らざれば、則ち復たせざるなり)


「憤せずんば啓せず」とは、理解できそうで理解できない状態にならなければ指導をしない。「非せずんば発せず」とは、言いたいことがいえそうでいえない状態でなければ、新たに何かを教えない、という意味である。この2つの文は思考と言語発言(=行動でいいのかな?)の違いはあるにしても、自分自身で学び、超えられそうで超えられない壁に行き着かない限り、何も教えないし、何かを教えても意味がないと言うことを言っている。
後半は比較的わかりやすいが、1つのことについて四角の一隅についての説明をした時、残り三隅について質問をしないのであれば、もう教えないよ。ということである。「もう教えない」とは孔子先生もなかなか厳しいですが、そういうものでしょう。新人に向けてこの接し方では難しいかもしれませんが、ある程度経験を積んだ人間であれば、学ぶ側もかくありたいものです。

つまり、学びについて言いたいことはということである。
 ・自分自身で壁にぶつかるまで考える、
  もしくは試してみなくてはいけない
 ・その状態になってようやく先人の教えが意味することになる
 ・1つ学びを得たら、それに関連することについて疑問を抱き、
  できればその場で質問、難しければ後からでも
  質問や意見の交換をするべきである

ちなみに「啓発」という言葉は、この故事からの出典であり、「啓発」って実は自分に対して非常に厳しいことなんですよね。ぎりぎりまで追い込むんですから。
「自己啓発」って言葉を簡単に言う人いるけど、学ぶひとと教える人を自分一人でできる人っているのかな?みんな軽く言ってるなーと感じる今日この頃です。

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